限りある人生について謙虚に考えてみる

私はガンで死にたい 小野寺時夫

死後の整理を完璧にし、不穏を見せずに平然と生きて、医療スタッフに感謝の言葉を述べて亡くなる人がいます。
一方には、死を認めることができず、不安、怒り、落胆、焦りの入り混じった不穏状態が最後まで続いて、あるいは家族が来ないと不穏状態になりながら亡くなる人もいます。

自分なりの死生観がなく、社会の流れに漠然と乗って生きてきた人、あるいは配偶者などに頼り切って生きてきた人に、嘆き苦しみながら死を迎える人が多い感を受けます。
お金、権力のある人が死を認められず、不安、怒り、恐怖が強いのではないかと思うことがあります。
お金や権力でどんなことでも自分の思い通りにできてきたのに、死にはお金も権力もまったく無力なので、その分、焦りや嘆きが一段と強くなるのでしょう。

現実は若い人の事故死だけでなく、40代の心筋梗塞や脳卒中死が少なくありません。
現在のホスピス病棟に50代の人は常にいますが、40代、ときには30代の人もいます。
親の介護を受けて亡くなる人も年に数名はいます。

死は人生の最後にやがて来るものと漠然と考え、自分も平均寿命までは生きると思っている人が多いようですが、予想が外れることが少なくないのが現実です。
平均寿命までは生きるだろうと過信してはいけないのです。
50代後半になったら、誕生日なり、大晦日なり年に1回は、限りあるこれからの人生について謙虚に考えてみるのが良いと思います。
穏やかに死ぬためには、死に対する心の準備が必要で、それは一朝一夕にできることではなく、長い年月がかかるからです。