確立した死生観を身につける

私はガンで死にたい 小野寺時夫

一般的には次のような人は、終末が安らかではありません。
その根本的な要因は、死を容認できないからだと思います。

死を本気で考えたことのない人。
比較的若年者に多いのですが、死を遠い未来のものと考えていたり、まだまだ生きられると思い込み、死についてあまり考えていなかったりした場合。

転移などで助からないことや長生きできないことを偽られていて、末期になり真実を知った人
こういう人の多くは怒りが続いたままで死を迎えます。

がんという病気の本性が分かっていない人。
がんが治せないことが納得できない人。

免疫療法や先端医療の報道に踊らされ、いろいろな治療法を探し続けて最終的に無効と分かった人。

手術の後遺症に苦しみながら末期状態になり、手術を受けたことを後悔している人。
また抗がん剤の治療を受けたが最終的に無効と分かり、抗がん剤治療を後悔している人。

お金や権力で大抵のことが叶ってきた人。
こういう人は、死を避けられないことの苦しみが一段と強い感を受けます。

「人は生きてきたように死んでいく」「人は生きてきたようにしか死ねない」などと言われますが、私もその通りだと思います。
人は死に直面しても、性格やその人の考え方の本質が変わることなく、急に哲学的思考をするようになったり、強い信仰心が湧いたりすることはないのです。

人は常に社会的役割を身にまとって生きていますが、死に向かうときにはお金も、社会的地位も、名誉も無関係になり、心・魂そのものだけの存在になります。
そのため、穏やかに死を迎えられるかどうかは、その人なりの確立した死生観をもって生きてきたか、言い換えると人の生命に限りがあることを認識し、個が確立しているかが大きく関係すると感じます。