観たい書きたい希望で生き続ける

なんとめでたいご臨終  小笠原文雄

9月5日、4回目のテレビ放送の日は、余命を半年も過ぎていました。
10月になると黄疸が出て、とうとう動くことも困難になった花田さんは
「もう一度テレビが観たいわ。また放送してくれたら生きられる」
と言いますが、さすがに無理そうです。
そこで私はこんな提案をしました。
「それなら花田さんの奇跡のような軌跡を本にしたらどう? 出来上がった本を自分でも読みたいでしょう?」
すると「書きたい!」と花田さんの目が輝きだしました。
私はすぐに医学関係の出版社にお願いし、本の出版許可が出たことを伝えると、花田さんはとても喜んで執筆活動に専念しながら日々の生活を送っていました。
とはいっても体中はまっ黄色の黄疸です。

花田さんは無事にお正月を迎えることができました。
そのころには、顔の黄疸は黒色から茶色になり、さらに緑色が混じっていました。
そんな状態で歌が歌いたいと言った花田さん。
小笠原内科の音楽療法は、患者さんの家にキーボードを持ち込み、患者さんの好きな歌を伴奏しながら、医師や看護師、時にはボランティアさんやケアマネージャーなど、みんなで歌います。
花田さんは「千の風になって」を楽しそうに歌っていました。

音楽療法から1週間後の1月23日の朝のことでした。
いつものように6時30分に家を出る準備をしていた娘さんが、花田さんとおしゃべりをしていると、突然花田さんが口ごもったのです。
「お水が欲しいのかな」、そう思った娘さんお水を取りに行き、戻ってくると、花田さんの呼吸は止まっていました。

余命宣告を受けてから生きる希望を持てず、心身ともに苦しんでいた花田さん。
在宅ホスピス緩和ケアと出会ったことで、痛みが取れて笑顔になり、テレビ出演した放送を楽しみに生き続けました。
執筆活動に取り組み、音楽療法で一緒に歌を歌い、最期には娘さんの願いもかなえて穏やかに旅立たれました。