若者や赤ん坊を解剖しなければいけないとき

明日この世を去るとしても今日の花に水をあげなさい 樋野興夫

今は指導する立場なので自分ではやりませんが、20代から30代にかけて、たくさんの病理解剖をやってきました。
人生これからといった若者や生まれて間もない赤ん坊を解剖しなければならないときは、人生の空しさを感じました。
「いったいこの子は何のために生まれてきたのだろうか?」
遺体から臓器を取り出し、おなかの中が空っぽになった様子を見て「生きるとはどういうことか?」と自問したものです。

人間は自分の寿命に気づかない生き物です。
病理解剖を何度も繰り返しても、自分が明日死ぬとは思えない。
しかし、人間は誰でも必ず死ぬ。
その事実が分かっていながら、どうしても明日自分が死ぬとは思えません。

ところがガンになると様子が違ってきます。
突然、自分の死がリアルに感じられるようになります。
そして人は、生きる基軸を捜し求めるようになります。
「自分は何のために生まれてきたのか」
「残された人生をどう生きたいのか」
「そのために自分は何をすればよいのか」