自分という存在は社会の中で見つけ出す

明日この世を去るとしても今日の花に水をあげなさい 樋野興夫

教育とはすべてのものを忘れた後に残るものをいう。
ロビンソン・クルーソーのように無人島で1人で暮らしていたら、その人がいい人なのか悪い人なのかわからない。
集団の中に置かれたときに、どんな行動を起こすかでその人のことが初めてわかる。
果たして自分はどういう人間なのか。
いったい自分の役割や使命は何なのか。
家に閉じこもって悶々と考えているだけでは見つかりません。

自分というものは、社会の中に身を置いて初めてわかる。
集団の中で過ごしてみて、人と人との差が明らかになり、自分という存在が浮き彫りになる。

がんになったから、仕事がなくなったから、仲間や友達ができないからといって、ずっと閉じこもっていては、無人島で1人暮らすロビンソン・クルーソーと一緒です。
孤島に住んでいる限り自分を見失ったままです。

自分という存在は、社会の中で見つけですものです。