あると困るものでも存在だけは認めてあげる

明日この世を去るとしても今日の花に水をあげなさい 樋野興夫

がんや心臓病などの重い病気にかかると、自分のことを病人と思い込んで心を閉ざしたり、引きこもったり、うつ的症状を呈したりする人がいます。
病気になっても、普通の人と同じように、人と交流したり、働いたり、楽しんだりしている人をこれまでにたくさん見てきました。
今はたまたま病気になっているけれども、「あなた」であることは病気になる前もなった後も変わりません。
「病気」イコール「病人」ではないのです。

治せるがんなら治したらいい。
しかし、再発や転移を繰り返して治しようがないがんは、不良息子と一緒で、今後どう接していくか考えるのが最優先です。
戦う、無視する、共生する、共存する。
いくつもの選択肢がありますが、あると困るものでも、治しようがないのなら、存在だけは認めてあげるといいでしょう。

別に仲良くする必要はありません。
一緒に生きていこうと覚悟を決める必要もありません。
ただただ相手の存在を認める、それだけでいいのです。

病気で悩んでいる人は、病人という座席に座って、そこから見える景色が世界のすべてと考えているのではないでしょうか。
もしそうだとしたら、いったん「病人」という席から離れて、あなたの周りを見回してみてください。
ずっと大きな世界が広がっていることに気づくでしょう。
あると困るものでもその存在を認める。
私たち人間だけができる高尚な行為です。