暇そうな人に人は胸襟を開く

明日この世を去るとしても今日の花に水をあげなさい 樋野興夫

がん哲学外来では、コンピュータもカルテもノートもペンも使いません。
私と患者さんの間にあるのは、基本的にお茶とお菓子だけ。
そして私はいつも暇気な風貌をして、偉大なるおせっかいをやく。
これががん哲学外来のコンセプトです。

3時間待ちの3分間診療と揶揄されるように、大きな病院のお医者さんは忙しすぎます。
1人の患者さんにかける診療時間がこれほど短いのは、できるだけ多くの患者さんを診るためなので仕方のないことですが、忙し気な人に胸襟を開くことはできないでしょう。

新渡戸稲造は「大人物は田舎からしか出ない」と言ったそうです。
理由は忙しい都会人に比べて、田舎に住んでいる人には時間的な余裕がある。
余裕があるから、物事をじっくり考えられ、世間の枠にとらわれない自分のオリジナルの流行をつくれるからです。

今も昔も「暇な」ことには価値があります。
部下が自分を慕ってくれない。
別の部署の人間に仕事の相談をしている。
家族との会話がほとんどない。
悩みごとがあっても自分には話してくれない。
もしかするとそれは、あなたがいつも「忙し気な風貌」をしているからかもしれません。

相手の話を聞くときにパソコンの画面を見たままだったり、何か別のことをしながら話を聞いていたり、話を聞きながら時々時計をみたりしてはいけませんか。
忙しそうにしていると、人は心を開いてくれません。