テレビ放送

なんとめでたいご臨終  小笠原文雄

体調が悪化した花田さんにソル・メドロールを使ったところ、みるみるうちに元気になりました。
すると花田さんは
「余命も過ぎたし、遺影を撮りたい」
と言い、岐阜市内にある梅の花で有名な「梅林公園」に行きました。
満開の梅の花を背に、とても素敵な遺影が出来上がりました。
その後も、痛みもなく、穏やかに過ごしていた花田さんでしたが、3月に入ったころに体調が悪化します。
「さすがに今度はだめかもしれない。あの世に行くんですね」
と弱気になった花田さん。
もう駄目だという気持ちは免疫力を低下させます。
そこで、減らしていたソル・メドロールを増やしたり、訪問看護の日数を増やすなどケアを充実させました。
そして再び元気になったある日のことでした。
「先生、また遺影を撮りなおしちゃったの」
なんと花田さんは、今度は満開の桜の木の下で2度目の遺影撮影をしたのです。

花田さんの密着取材をしていたテレビ局のディレクターが撮影してくれた写真は、末期がん患者さんとは思えないほどイキイキした、素晴らしいものが出来上がりました。

しかし5月になると、腸閉塞になって食べられなくなり、お腹にゴリゴリもでき、腹水もたまってベッドから起き上がれなくなります。
「先生、さすがにもう終わりだわ」
と花田さんが覚悟を決めていたころ、例のディレクターから。
「6月29日と7月5日にテレビ放送が決まったよ」とうれしい電話です。
それを聞いた花田さんは喜びながらもこう言います。
「わぁー、私も観たい。でも観られないから残念だわ」
「じゃあ、僕が代わりに観ておいてあげるからね」
「いや! 私も観る」
「死んだら観られないよ」
「じゃあ私、死なない」

待ちに待った6月29日、何と花田さんは歩けるほど元気になり、テレビを観ることができたのです。