犠牲を払うということ

明日この世を去るとしても今日の花に水をあげなさい 樋野興夫

今の医療現場はどうでしょうか。
医師の目の前にコンピュータがあって、ほとんど患者さんの方を見ずに、画面を見ながら話す時間の方が多くなっています。
本当は画面からいったん離れ、患者さんと向き合って診察すべきですし、患者さんも目と目を合わせて対話することを求めています。
それが「犠牲を払って相手のためにする」ということです。

犠牲というと大それたことを連想されるかもしれませんが、ほんのささやかなことでかまいません。
自分のやっていることをいったんやめて、相手のために自分の時間を使う。
これも立派な犠牲です。
犠牲を払ってもらった相手は、それだけでうれしくなります。

病気になったとたん、家族や知人から距離を置くようになる人がいます。
また本人もそういう風貌を見せるため、見舞いに訪れた人もどう接してよいのかわからず、自然と患者さんから離れていきます。
病気は一夜にして治すことはできませんが、風貌は一夜にして変えることができます。
これまでずっと怒っていた人でも、次の日から笑顔になることができます。
病気は治っていなくても、心の状態を変えれば、風貌は一夜で一変します。