水入らずでお別れ

なんとめでたいご臨終  小笠原文雄

2015年1月7日、食べることもモルヒネワインを飲むこともできなくなった柏原さん。そこで、ボタン1つで痛みが取れる魔法のお弁当箱=PCAを導入すると、柏原さんは、「安心がまた1つ増えた」と娘さんに言って喜びました。

1月9日 柏原さん「ひとりで最期まで家で暮らせるなんて100%満足」 娘さん「お母さん、私も100%満足ですよ」 柏原さん「だったら2人合わせて200%満足だね。わっはっはっ」

1月11日 逗子市で講演していた私は、SNSを見ると、柏原さんの血圧が下がり、様態が悪化していることを確認しました。

1月12日 朝、私はまだ鎌倉にいましたが、柏原さんを診察しました。鎌倉と柏原さんのいる岐阜をつなぐ350キロの遠隔診療です。

「柏原さんの様子はどう?」
私が訪問看護師に尋ねると。「意識がもうろうとしています」と言いながら、タブレットを柏原さんに見せました。
「柏原さん見て。小笠原先生だよ」
すると柏原さんは、画面いっぱいの私の顔を見て「わっはっはっ」と笑い出します。
遠隔診療で目に力と輝きが蘇り、元気になった柏原さんは、娘さんや東京から駆け付けたお孫さんたちと穏やかな時を過ごしました。
夜の12時ころでした。
お孫さんが柏原さんの呼吸が止まっていることに気づきました。
娘さんは慌てることなく、そのまま様子を見ていました。
呼吸をしたり、止まったりの状態です。
お別れパンフに書いてあった通りだ、と安心した娘さんたちは、柏原さんの近くでおしゃべりをしていました。
そして午前2時ころ、娘さんが気付いた時には、柏原さんは眠るように亡くなっていました。

ご家族が訪問看護師と一緒にエンゼルケアを行うと、その後はご家族だけで水入らずの時間を過ごし、お別れをしました。