死が迫った時のお見舞いは迷惑

私はガンで死にたい 小野寺時夫

亡くなる本人は静かに死に向かっています。
声掛けには反応するが、ほとんど眠って過ごすような状態の時に、見舞客が「これが最期だから」とどっと押し寄せ、次々と声をかけるなどは患者さんにとって大変迷惑です。
中には大声で「俺だ、目を開けろ。頑張らないとだめだ」などと話しかけている人もいますが、これは非常識です。
死に向かっている人にとっては、商売や勤務先関係の社交辞令的な見舞客が嬉しいはずはありません。

臨終に近づくにつれ食欲はなくなるのが普通です。
食べなくなるのは飲食の必要がない状態になったということで、その方が穏やかでいられるのです。
それなのに、患者さんに「食べなさい」「食べないとだめだ」などとせっつくのは拷問と同じで、強制してはならないのです。
水も要求しなくなった人に「喉が渇かないか」と尋ねて吸い飲みを口に当てるのも誤りで、無理に注ぎ込むと窒息死する危険もあります。

注意して患者さんを診ていると、音楽を聴くのも体力がある程度あるうちのことで、衰弱が進むと好きな音楽も受け付けなくなり、静かな環境を望むようです。

声掛けに反応しなくなっても耳は聞こえている場合が多いように感じます。
しかし、聞こえてもそれに答える力がないのですから「飲むの?」「飲まないの?」とせっついたり「○○さんが来たから目を開けて」といったりしてはならないのです。
「立派だった」とか「大好きだ」というような、患者さんが回答しなくてよいことを言う方がよいでしょう。