最期まで耳は聞こえている

なんとめでたいご臨終  小笠原文雄

野口さんが寝たきりになったとの連絡を受けて往診に行くと、奥さんが
「先生、主人が声も出さないんです。ずっと寝てるんです」
というので、私も眉をゆすったり呼びかけたりしましたが、反応がありません。
「本当だ。痛覚もないし、意識がなくなったみたいだねえ。血圧も下がっているし、急激に悪くなっているので、そろそろお別れだね」
「先生、本当にピンピンコロリなんですか。どうしたらいいんですか?」
「奥さんは何もしなくてもいいですよ。ヘルパーさんにも入ってもらいましょう。でも耳は最期まで聞こえているっていうから、名前を読んであげたり、好きな歌を聴かせてあげてね」
「そういえば主人は青森に行ったとき、宿で聴いた津軽海峡冬景色が好きだと言っていました」

すぐに”津軽海峡冬景色”を流しました。
しばらくすると、あら不思議、野口さんの手が動き、目を開いて歌いだしてしまったのです。
「僕が大声で呼んでも反応しないのに、津軽海峡冬景色を聴いたら歌っちゃうんだものね。まいったなあ~」
私が頭をかいてこういうと、野口さんが想いを語ってくれたんです。
「先生、私はねえ、2人の子供を大学に入れるために自分の夢を我慢したんですよ。でも、青森に行ったとき、この歌を聴いて涙が出たんです。本当は、北の大地、札幌に住みたかったんですよ」

その翌日、寝たきりになって2日目、野口さんは穏やかに旅立たれました。