偉大なるおせっかい

明日この世を去るとしても今日の花に水をあげなさい 樋野興夫

これまでにたくさんの人から「がん哲学外来とは簡単に言うとなんでしょう?」と聞かれました。
私の答えは「一言でいうと、偉大なりおせっかいです」
すると今度は決まってこう尋ねられます。
「なぜやろうと思ったのですか?」
「暇だからです」

私は今の医療に足りないものあ2つあると考えています。
1つが「偉大なるおせっかい」、もう1つが「暇気な風貌」です。
この2点を実現するために始めたのが「がん哲学外来」なのです。

余計なおせっかいと偉大なるおせっかい、一番の違いは何か?
余計なおせっかいは自分の気持ちで相手に接し、押し付けているのに対し、偉大なおせっかいでは相手の気持ちに寄り添い、相手が必要としていることをサポートしています。

手術後、食欲のない患者さんに、丹精込めた手料理をつくって、「あなた、少しでも食べましょう。食べて早く良くなってください」と励ます妻。
黙ってそばにいてくれるだけでいいのに「今日はどうだ?」「どこか痛いところはないか?」「早く治して、2人で旅行に行こう」「がんばれ、がんばれ!」と入院中の妻をしきりに励ます夫。
気持ちはわかりますが、本当に相手のためになっていますか。
押し付けになっていないでしょうか。