生きる目的

仏教家の話し

幸福は「自分の心が築く」ものであるならば、その心を成長させることが「生きる目的」になります。
「幸福は心にあり」と分かった人にだけ、生きる目的が生まれます。
人間ですから、衣食住など生きるために必要なものはあります。
これらが最小限揃ったら、心を清らかにするために頑張ってみるのです。
例えば、帰り道にゴミが落ちていたら、拾って自宅のごみ箱に捨てます。
些細なことですが、そのことによって「善いことをした」というフィードバックが心に残ります。

もう一つ大切なことは、怒り・恨み・嫉妬・落ち込みなど、心の闇を排除するように励むことです。
小さな善からスタートして、それを積み重ねることによって心を清らかにすることが精進です。
この努力が幸福度を増してくれます。
ちょっとした善い行いでも、心は喜びを感じるようになります。

若い時に、遊びに仕事にトコトンやってやろうと思っても、あっという間に時間は過ぎていきます。
若さも、美しさも、能力も、全てを味わう前にいつの間にか消えていきます。
努力してもうまくいかないことが多いので、不満がつのります。
だから、もっともっとと何かが欲しくなるのです。
生まれたから生きている、まだ死んでいないから生きている、ただ惰性で生きている、という生き方では意味を見出せません。

この悪循環を断ち切ろうと思った瞬間に、有意義な生き方がスタートするのです。
自分の人生を変えてくれるのは、今、この一瞬です。