死の恐怖

仏教家の話し

亡くなった人に愛着があれば、その死を認めたくありません。
ですから「天国で安らかに眠ってください」のように自分に言い聞かせ、自分の悲しみを癒そうとします。
でも、誰でも天国に行って永遠になれるとなると、話は違ってきます。
自分に散々迷惑をかけた人には、天国に行ってほしくないと思うからです。
そこで、地獄が生み出されました。
天国で永遠になるのには条件がある。誰でも天国にいけるのではないということになったのです。

生きることが「快楽」だと思うと、死ぬのが怖くなります。
その快楽をもたらす肉体は、最高の宝だと思ってしまいます。
でも仏教では、肉体は不浄なものとして観察しなさい、と教えています。
自分の体が、朽ちて死体のごとく感じられると、死ぬのが怖いということは微塵もなくなるというのです。

死を恐れるもう一つの原因は、自分が執着している財産・人間関係・思い出などから離れるのが嫌だという感覚です。
死の恐怖を乗り越えるため、人間は「天国」「永遠」「パラダイス」「極楽浄土」の境地をつくり出し、安心して納得しようとします。
死は、体を構成していた「原子」をバラバラにして、次の生命を生み出す材料を提供します。
そういう意味で死は、永遠なのかもしれません。

世界に宗教が現れたのは、死ぬのが怖いからです。
もし、死後の世界が至福感に溢れているならば、できるだけ早くそちらに行く方が正しい選択になってしまいます。

自分の人生観が問われるのです。