できないのは才能のせいではない

「手紙屋」 喜多川泰 

ピアノを習っているあなたと、一度も習ったことのない私。
どうしても弾いてみたい曲があります。
あなたは、一度もこの曲を弾いたことはありません。
もちろん、私もありません。
その2人が同時にこの曲を練習し始めたとします。
どちらが先に弾けるようになるでしょうか?

結果は目に見えています。
私は逆立ちしたって、あなたより先に完成させることはできないでしょう。
だって、経験してきた量が全然違うんですから。
その時私が、こう言ったらどう思いますか?
「君はいいよね、才能があるから」
するとあなたは、きっとこう思うでしょう。
「できないのを才能のせいにするのはおかしいよ。だって私は何年もピアノを習ってきたんだから・・」
勉強のできる人は、よくそう言われてしまいます。
そしてみんなが、それを間違っていないと思っているんです。

ともかく、勉強という道具を使って手に入れられることは、数限りなくあります。
勉強という道具を使って手に入れようと考えるものがたくさんあればあるほど、たくさんのものが手に入るし、「大学生活」1つしか考えていない人は、それしか手に入らないということです。

多くの人は勉強というと、国語、数学、英語といった教科を連想しますが、学校で習うことだけが勉強ではありません。
世の中のすべての人が、それぞれの生活の中で勉強する必要に迫られているのです。
だから大学に行かないから勉強しなくてもいいなんてことにはならないし、むしろ社会に出ると、学校の授業とは別の勉強を今まで以上にしっかりやらなければならなくなるんです。
これはまぎれもない事実なんです。