「逝き方」は「生き方」

大往生したけりゃ医療とかかわるな 中村仁一

私は、特別養護老人ホームの配置医師です。
その老人ホーム勤務も12年目に入り、最期まで点滴注射も、酸素吸入も一切しない「自然死」を数百例もみせてもらえるという、得難い体験をしました。
病院では、最期まで何とか処置をします。
いや、しなければならない所ですから、自然死はあり得ません。
また、医者の方も、何もしないことには耐えられないでしょう。
しかし、それは穏やかに死ぬのを邪魔する行為なのです。
ですから、ほとんどの医者は自然死を知りません。
世の中で、一番の恐がりは医者でしょう。
それは悲惨な死ばかりを目の当たりにしてきたせいだと思います。

ガンでさえも、何の手出しもしなければ全く痛まず、穏やかに死んでいきます。
以前から、死ぬのはガンに限ると思っていましたが、年寄りのガンの自然死を60~70例を経験した今は、確信に変わりました。
ただし、「手遅れの幸せ」を満喫するためには、「がん検診」や「人間ドック」などは受けてはいけません。

本来、年寄りはどこか具合が悪いのが正常なのです。
不具合のほとんどは老化がらみですから、医者にかかって薬を飲んだところで、すっかり良くなるわけではありません。
昔の年寄りのように、年をとればこんなものと諦めることが必要なのです。

ところが「年のせい」を認めようとせず、「老い」を「病」にすり替えます。
なぜなら、「老い」は一方通行で、その先には「死」がありますが、病気なら回復が期待できますから。
人間は、生き物である以上、老いて死ぬという運命は免れません。

あまり医療に依存しすぎず、老いには寄り添い、病には連れ添う。
これが、年寄りの楽に生きる王道だと思います。
年寄りの最期の大事な役割は、できるだけ自然に「死んでみせる」ことです。
「逝き方」は「生き方」なのです。