結核の16歳の少女

いのちの言葉 医師 日野原重明

私が京都大学の医学部に入学したのは昭和七年のことです。
当時卒業生は、母校の大学病院で研修を受けるのが普通でした。
病棟勤務の最初に、私が担当した患者さんは二人いて、一人は神経性の疾患、もう一人は結核性の腹膜炎で入院している一六歳の少女でした。
この女の子は、お父さんを早くに亡くし、滋賀県の大津でお母さんと一緒に紡績会社に勤めていたのです。
お母さんは、日曜日でも勤務しているので、なかなか見舞いに来ることができないことを、彼女はよく承知していました。

この方の結核はどんどん進行して、強い腹痛を訴えたり、下痢をしたりしておりましたが、結核に対する特効薬のない当時は「辛抱しなさい」と言って、温シップ布をあてたり、下痢を止めるお薬を内服させるくらいで、痛みが強くても、今のようにモルヒネを使うことはしておりませんでした。

ある日曜日のことです。
私が回診しますと、彼女は私の手を握るようにして、「先生、私はもう今日死ぬような気がします。私は今日まで、お母さんにいろいろ面倒見てもらった。そのことを直接お母さんに話したいけれども、もう言うこともできないんです」というのです。