生きるって大したことではないのかも

人はいろいろなことを考えています。
「人生の目的が見つからない」
「仕事にやりがいを感じられない」
「やりたいことがない」
「何のために生きているのか分からない」
「実現したい夢があるけど、その方法が分からない」
「お金は十分儲けたけれど、人生に空しさを感じる」
「出世はしたけど何だか淋しい」
「幸せを感じられなくて、人生の意味が分からない」

一休禅師は「生きるのは死ぬまでの暇つぶし」と言いました。
もしかしたら「生きる」ということは、案外大したことがないものかもしれません。
あなたが大成功して、あらゆる富を持参して、南国の孤島でたった1人で生きてていくことを想像してみてください。
生きるということは、「何とつまらない」ことだろうと思うことでしょう。
その島で、大きくて素晴らしい輝きのあるダイヤモンドを拾ったとしても、何の感激も味わえないでしょう。
つまり、そのダイヤモンドを見て「すごいね」「きれいだね」と一緒に喜んでくれる人がいて、はじめてダイヤモンドが真に輝き始めるのです。

人生も同じです。
自分の人生を面白くして輝かせてくれるのは、いつも「自分以外の人たち」がいてくれるからです。
だから「自分1人だけが成功する」ことを求めて生きていても、最後は面白くなくなるのです。

結婚した当初は「この家族を幸せにするぞ」と決意して、家族を大切にします。
でもやがて時が経つにつれ、仕事に追われ、出世競争に埋没して「自分だけが大変なんだと思い込む」ようになると、家族に向かって「俺がおまえらを食わせてやっているんだ!」という暴言まで吐くようになってしまうこともあります。
家族は出世なんかしなくても、多少収入が少なくても「いつも皆が笑って楽しい雰囲気でいられる家庭」を望んでいるのかもしれません。

定年を迎え家庭に戻ったとき、家族が温かく接してくれるかどうかは常日頃の生き方が重要です。
私のように、「仕事はしなくてもいいから、家にいないで!」と言われるのは、ほんとうに辛いものですよ。