死の恐怖を乗り越える 1

1,000人以上を看取った緩和医の話し

死を前にしたときの恐怖とは、「苦しむのだろうか」「七転八倒するのだろうか」のように、心身の苦痛への恐怖です。
さすがにこれを完全に消し去ることは難しいです。
でも、「余計な治療をしないこと」と「緩和医療を受けること」で心身への苦痛は大分緩和されます。
こと終末医療においては、「しないこと」の重要性は強調してし過ぎることはありません。
終末期においては、かなり少ない水分・栄養量で生命が維持できるようになっていることがほとんどで、通常、人に必要な分水分・栄養量を点滴してしまうと、患者は余計に苦しむことになります。

実は、命を伸ばそうと必要以上の治療をしているせいで、患者が苦しんでいることが少なくありません。
「減らす」「やめる」という勇気を持つことで、苦痛を減らせるばかりでなく、延命することすらあるのです。

死後の恐怖については、実際に行って確かめた人がいるわけではないので大丈夫と保証できないのが残念です。
ただ私は、それこそ1,000人以上死を見てきて「死後の世界が分からなくても大丈夫」と思っています。

必ず人は死にます。
誰もが死を迎え、超えていきます。
次があるならそれはそれだし、無ならば今を精一杯生きればいいのです。

死を敗北としか思えないならば、人は最後に必ず敗北で終わってしまうことになります。
また、愛する人を失うことが敗北であったなら、人は生きている限り敗北し続け、最後に自分が敗北するということになってしまいます。
死が敗北ならば、誕生したこと自体が敗北になってしまいます。
そうではない!という生き方が問われているのです。

どうせ最後は死ぬんだと自暴自棄になる人もいるでしょう。
また、どうせ死ぬんだったら、やりたいことを好きなだけやればいいんだと思っている人もいるでしょう。
でも、楽しいことだけしていても、人はいつか飽きるものです。
人は「慣れる」生き物だからです。
どれだけ遊行に美食に時間とお金を費やしても、どれだけ性愛の世界に生きても、慣れが生じて、もっと強い刺激でなければ満たされなくなるだけです。
キリがないのです。

「己を忘れて、他を利するは慈悲の極みなり」という言葉があります。
自分のことは後回しにして、まず人に喜んでもらう。
そこに幸せがあるのだという意味です。