死について考えよく生きる

私はガンで死にたい 小野寺時夫

日本人は、死を口にするだけで「縁起でもない」と嫌う傾向が強い民族ですが、折に触れて「死」について考え、語り合うことが逆に良く生き、よい死を迎えるために欠くことのできないことだと私は信じています。
高齢になるにつれて身近な人や知人の死に接することが多くなると、自分はいつ、どういう死に方をするだろうかと誰もが考えると思います。

近年は、「ポックリ死」や「ピンピンコロリ」を望む人が増え、ぽっくり寺参りも盛んだと聞きます。
仲間の医師の中にも、眠ったまま目を覚まさないで逝くのが理想と言う人もいます。
認知症の進んでいる人やかなり高齢の人なら、ローソクの灯が消えるようにフット死ぬのはメリットがあります。
しかしそうでない多くの人にとって、「ポックリ死」は本当にいい死に方なのでしょうか?
そもそも、人は死に方を自分で選ぶことができません。
がんは40代から80代迄において死因の第1位です。
ガン死は前年代を平均すると3人に1人の割合になります。
60代から80代全般に限れば2人に1人の割合になります。

がんになると、若い人だけでなく高齢の人でも、大抵は自分の不運を嘆き、早晩訪れる死に向かっていかなければならないつらさがあるので、多くの人が「がん死」を嫌っているようです。
しかし人の死に方として「がん死が最も自然」なのです。

「がん死」は例外もありますが、多くの場合助からないと分かってからも半年から2年くらい普通に生活できる期間があります。
その間に、人生の最期を自分なりに締めくくることもできます。
人生の最終期にやりたいことをやったり、死後のために整理したり、周囲に別れを言ったりすることもできるのです。