「死」について

仏教によれば「生・老・病・死」の事実から、人間は逃れることはありません。

チベットの人に「死」について問うた話しです。
「死ぬのは怖いですか?」
「もちろん怖いけど、その一方で死ぬのは当然のことと思っているよ・・」
「自分が死ぬことよりも、親に死なれる方が怖いと思っているのですが? 親に死なれたら、一人ぽっちになってしまう気がするんです」
「親はずっと元気でいてくれるはずだとか、すべては永遠に続くものだって思っているんじゃないの? この世に永久に続くものなんてないのに・・。それが分かっていれば、親の死だって自然のこととして受け止められるはずだよ」
「親が死ぬ日のことを考えると、怖くて怖くてしかたがないんです・・?」
「あなたは親の死が怖いんじゃないよ。親の死を恐れているというより、親が亡くなることで『自分自身が不安定』になることを恐れているだけだよ」

さらに続けて「悲しくなるのは自分が不安になるからでしょ? 関心は自分に対してだよ。あなたの関心は親の死よりも、自分自身にあるんだ。それは変わりゆくものを受け入れようとしない執着心からくるものだと思うよ・・」

仏教の教えでは「執着心」ほど苦痛をもたらすものはないとされています。
親が死ぬことはもちろん悲しいことですが、いつかその日がくることが分かっているからこそ、「日々感謝」して生きていくことが大事なんだと教えています。