「普通」とは

人の出会いででっかく生きろ 中村文昭

僕が出会って度肝を抜かれた人々は、みな「普通」の人たちです。
度肝を抜かれたような並外れた変な人たちなのに、「普通」とは、いったいどういうことなのかと不思議に思われるかもしれません。
「普通」なのは彼らではありません。
彼らにとって「普通」だから、心を動かされた・・これが真意です。
つまり、こちらから見ればすごい生き方や考え方が、本人にとってはいたって「普通」のことだという点が、変な人、すごい人の共通点なのです。

人それぞれ異なる「普通」の中には、自分にもできるような「普通」もありますし、すぐには真似できない「普通」もあります。
お年寄りには席を譲るという「普通」、細かいプラスチック迄きちんとゴミの分別をするという「普通」。
その人にとって当たり前のことなら、どんなに周りと違っていても、それがその人の生き方を決めている大切な「普通」です。

僕たち家族が決めた「普通」は4つあります。

1つは 履物をそろえる。
僕らのポイントは、子どもにそれを強要しないことでした。
僕らの両親、僕と妻は、常にそろっている靴を子どもに見せていこうと決めたのです。
子どもには、そろっている靴だけを履かせるようにしました。
子どもがそろえなかったときは、「そろえなさい」とは言わずに、黙って大人がそろえておいたのです。
結果は上々でした。
揃った靴しか履かないことを毎日毎日刷り込んだ結果、揃っていないことに違和感を持つようになったのでしょう。
我が家のやんちゃなチビたちは、今では完璧に靴をそろえるようになりました。
保育園では、人の靴までそろえているようです。