足りない病

お釈迦様は出家してから6年間苦行をして、苦行の無意味さに気づき捨ててしまいました。

苦行は苦しんだ後に幸福にたどり着くという修行で、期待しているのは快楽です。
快楽の道を歩む人は、最初から苦を否定して楽ばかりを求めます。
ここにある選択は、楽しみを先にするか、苦しみを先にするかという選択です。
苦行の道も快楽の道も、求めているのは同じだと気づいたのです。

お金を儲けることだけが仕事だと思うとストレスを感じてしまいます。
家事をしたり、風呂に入って食事をすることも、勉強することも、遊びだって仕事のうちです。
人が生きていく上で必要なことが仕事です。

欲しいものを得ることがいいことだと思っても、そこには物理的な限界があります。
服を100着持っていることも、部屋数が100部屋ある家を建てることも無駄なことです。
肉体の限界を超えて物質的な豊かさを求めるのは、物質の奴隷になってしまったことを意味します。

人の悩みの多くは他人と比較して、自分の能力やモノやお金が「足りない」と感じることから起こります。
「足りない」ゆえに悩むのなら「足りる」ことを知ればいいことになります。
ではこの「足りない」という感覚を無くすにはどうしたらいいでしょうか。
欲しいものを手に入れる? これでは一時的に満足しても、すぐに「足りない」という病気が現れてきます。
「足りない」という病気を治療する唯一の方法は、「必要か必要でないか」をよく見極めることです。