色シキと空クウ

般若心経の中に、有名な言葉があります。
「色不異空」シキフイクウ 形のあるものは、何もないことと同じです。
「空不異色」クウフイシキ 何もないことは、形のあることと同じです。
「色即是空」シキソクゼクウ 形のあるものは、そのままで何もありません。
「空即是色」クウソクゼシキ 何もないことが、そのまま形あるものを現出しています。

このまま解釈すると、矛盾していて意味が分かりません。
また、この言葉に対する解釈の仕方は、大勢の方が試みています。
私なりの解釈をしてみます。

まず形を構成している原子に注目します。
原子は、原子核とそれを取り巻くいくつかの電子で構成されています。
原子全体の大きさを400メートルとすると、原子核の大きさはピンポン玉の大きさになります。
遠くから原子全体を見渡せば、スカスカで何もないようです。
でもすべての物質は、原子が集合してできています。
人の命は肉親と繋がっているばかりでなく、食べ物も水も、この宇宙にあるすべての物質は原子から成り立っています。
あらゆる命はあらゆる物質と融合していますので、この世のすべてが巨大な一つの生命と言えるわけです。

この巨大な命を「空」と位置付けると、この世のすべてが「空」であり、「空」もまたこの世のすべてであると言えるのです。

形あるものは、壊れて他の形に変化します。
人間の細胞も、壊れては新しい細胞に生まれ変わります。
形ばかりではありません。
何かを感じることも、心に浮かぶことも、実際には何もないのです。
自分の意識すら、人は制御できないのです。
目を閉じて、何も考えないようにしてみてください。
次から次へと、自分の意志とは無関係に妄想が湧き出てきます。
この妄想を止めようとしても、なかなかできません。
この妄想を遠ざける修行によって、心の安らぎが得られると言われています。

座禅は、思考をいったん止め、自意識を解体していくための修行です。
少しの時間でも思考を止めることができれば、不安や虚しさは自然に消えていくはずです。