自然死

歳をとってくれば、どこか具合の悪いのが正常です。
医者にかかって、薬を飲んだところで、すっかり良くなるわけではありません。
歳をとれば、こんなものだと達観できればいいのでしょう。
年寄りの最後の大切な役割は、できるだけ自然に死んでみせることです。

風邪の原因がウイルスである場合、安静・保温・栄養をとって自分の治癒力で治すしかありません。
風邪により出てくる症状は、治そうとする身体の反応、警戒サインですから、それをむやみに抑えるのは自然治癒力を邪魔することになり、かえって治るのが遅くなるそうです。

自然死とはいわゆる餓死のことですが、そのとき人の身体にはどういうことがおきているのでしょうか。
まず脳内モルヒネが分泌されます。
脱水の結果、意識レベルが下がってきます。
死に際は、なんの医療措置も行わなければ、夢うつつの気持ちのいい、穏やかな状態でいられるといいます。

ところが多くの場合、食べられなくなると胃ろうによって強制的に栄養を与えたり、脱水のために点滴をして、せっかく自然が用意してくれている「ぼんやりとして幸せモード」の中で死んでいける過程を阻害することが多いといいます。
死に際は命の火が消えかかっていますから、お腹もすかないし、のども乾かないからです。

ある年齢以上になると、「死ねない」ことの苦しみがあるといいます。
高齢になって楽しみもなく、生活の不如意ばかりが起こると、もういつ死んでもいいと思っている老人が多いのだというデータがあります。

 今私たちが感じている「死の恐怖」は、死から遠いが故のものです。