臨終の場を子どもに見せる

いのちの言葉 柴田高志医師

老人医療を取り組む中で、一番気になっているのが、おじいちゃんやおばあちゃんの臨終の場に子どもたちの姿を見ないことです。
そのことをご家族に聞くと「学校ですよ」と、当たり前じゃないのというような返事が返ってくるのです。
亡くなった人の手を握っていたら、だんだん冷たくなっていく。
呼びかけても返事をしなくなる。
そのうち周囲の大人たちが泣き出す。
そうした姿を見れば、「死というのは大変なことなんだ」と、肌で感じると思います。
その裏返しとして、いのちの大切さを知るのではないでしょうか。

アメリカの話しですが、白血病で亡くなった13歳の男の子が医師や看護師に残した遺書があるんです。
「あなた方は、どうして僕の所に近寄るのを怖がるんですか。きっと僕が、いつまで生きられるのだろうか?とか、死んだらどうなるのだろうか?とか、難しい質問をするからですね。でも僕は、あなた方にその答えを求めているわけではありません。僕の言葉を聞いてくれるだけでいいんです。3分でいいから、そばに座っていてください。そして、僕のいうことを聞いてくれたらそれでよかったのです」
家族や心を許し合える人がいてくれれば、心安らかに最期を迎えられるのではないかと、そんな気がします。

今、医療がどんどんすす進み、確かに急性の病気に対しては恩恵を被っています。
しかしそれらは、ガンならガンをやっつけてしまえ!という、非常に攻撃的な医療です。
そのため、治療された方が苦しむような副作用があったりするわけです。
でも、病原菌が体内に入っても、すぐに発病するわけではありません。
それが免疫であり、自然治癒力なんです。
病原菌とも共存して生きていくためには、自然治癒力を高めて、自分で病気に負けないライフスタイルを持つことが大切なんですね。