生きざま

人のご縁ででっかく生きろ 中村文昭

巨大な師匠にも当然親があり、お父さんは学校の教師をしていました。
亡くなった時、お葬式には過去の教え子たちが、全国から800人集まってくれたそうです。
そして、口々に「田端先生は厳しく、よく殴られたけど生徒思いだった。先生に巡り合わなければ、今の自分はない」などと、涙ながらに話していたということです。

それもそのはず、師匠の父親は、おじいさんとケンカして途中で仕送りがなくなり、大学の学費が払えないため、アルバイト先でわざと機械に自分の左手を入れて指を3本失い、労災や身体障害者補助金をもらって学校に通い、教師になったという人です。
自分の指を失ってでもなりたかったわけですから、今の学校の先生に失われた教師としての情熱と誇りという確個たる考えを持っていたのでしょう。
そして、自分の手を掲げながら、子どもたちに本気で生きることを教えたに違いありません。
日蓮上人は、よい死にざまはよい生きざまによってつくられると言っています。
まずは臨終のときの自分をイメージして、今どう生きるべきかを考えるということです。
それでは、今、何を大事なこととしてとらえるのか。
通帳に貯金を残すために生きているわけじゃありません。
もし、子どもに残すものがあるとしたら、それは自分の生きざまだと思います。
「父親(おじいちゃん)の生きざまはこうだった。そのDNAが自分にも備わっている。だから、自分だって頑張れるんだ」と、そういうバトンリレーをしていくことだと思います。