岸壁の母 2

端野さんの手記には、次のように綴られている。

終戦直後は、近くの品川駅へ探しに行きました。
引揚船の話しを聞いてからは、舞鶴へ行って探さなければと思い、取るものも取り敢えず駆けつけました。
何度も通っているうちに、旅費がかさみ、生活費にも事欠きましたが、行かなくては心が落ちつきません。
何度行っても、息子は帰還せず、消息さえも分からず、打ちひしがれて帰宅しますが、又ふらふらと身を起こし、列車で舞鶴に行くのです。
引揚者の上陸する桟橋は大変な出迎えの人たちです。
私は病人の中にでも新二がいるのではないかと、一番前に並び、新二の名前を呼びかけ、たくさんの人に尋ねましたが、いつも空しく上陸も終わるのです。

今日か明日かと待つうちに、空しく三度目の正月を迎えました。
年が明けても、息子を案じるばかりで心は落ち着きません。
ソ連より同じ部隊の人が帰ってきたので尋ねましたが、知る人もありません。
生きていると信じて待つのですが、せめてどこにいるのか知りたいのです。
「新二、なぜこのように母を泣かせるのだ。あきらめようとは思いますが、生命をかけて育てた子です。生きていると信ずるゆえに、私は待つのです」