嫌な人には

鮎釣り風景

 

人間が「人や世界」を恨んだりするのは、「人や世界」が自由意思を持っているからと考えてしまうからです。
私たちは嫌いな上司に対して「何であの人は、嫌味な言い方しかできないのだろう」などと憤慨することがあります。
オランダの哲学者スピノザは、「誰も自分で自分を変えることはできない」と考えました。
「嫌味を言うのも、部下の手柄を自分の手柄にしてしまうのも、自分の失敗を部下に押し付ける」のも、すべては彼を生んだ家族や育った環境、彼と彼を取り巻く世界によって決定づけられてきたのだといいます。

私たちが「誰かを恨んだり、嘲笑したり、嘆いたり、愚痴ったり、呪ったり」するのは、自分の嫌いな相手が、自分が求めるように行動を変えてほしいと考えてしまうからです。
でも相手は、出自や生まれ育ちやコンプレックス、今抱えているものの因果関係で形作られており、自分の力で相手を変えることはできません。

そこで、こう考えてみませんか。
「起こることはすべて必然であり、もう決まっている。あの人はまた嫌なことを言うだろう。言わなくてもいいことも言うだろうなあ・・」
「でも相手の性格、相手の生きてきた環境を少しだけでも理解してあげれば、仕方がないのかもしれないと思える。もう、あの人のことは明らめて放っておこう。可哀そうな人として、許してあげようか・・」という気持ちになれればあまり憤ることもなくなるのではないでしょうか。