地獄と極楽

「地獄極楽はどこにありますか?」と一休禅師は侍に聞かれました。すると一休禅師はその侍の頭を如意(手のもつ仏具)でハシッと叩きました。怒った侍は「これは無法でござる。たとえ尊いお方とてみだりに人を打擲チョウチャクなさるとは・・」と言いながら刀の柄に手をかけ刀を抜こうとしたところ、禅師は笑いながら「それが地獄だ。腹を立てて私を斬ったらおまえもそのままではおられまい。そこが地獄だ」と答えられた。

侍が赤面し「なるほど、恐れ入りました」と自らの非を認め詫びると、禅師が「それが極楽じゃ。人を斬れば己も死なねばならない。そこをじっと耐え忍ぶからお前も私も無事でいられる。人間生涯無事に今日を送る。そこを極楽という」と諭されたそうです。

地獄も極楽もどこか遠い所にあるのではなく、自らの心がつくり出すものであるあるということでしょうか。