信念と覚悟

大往生したけりゃ医療とかかわるな 中村仁一

2008年の厚生労働省の調査によれば、「延命治療を中止して、自然に死期を迎える」ことを希望する人が約3割おり、10年前の2倍に増えているといいます。
一方、「最期まで自宅で」とする人は1割程度といいます。
それを困難と考える理由の大きなものに、「介護してくれる家族に負担がかかる」ことと、「症状が急変したときの対応に不安がある」からだそうです。
在宅で看取らせるためには、信念と覚悟が必要なのです。

できるだけ家族に負担をかけないためには、自分でできることは精一杯自分ですることです。
利き手の側がマヒしている場合でも、もう一方が残っています。
1回の食事に時間がかかっても構わないのです。
日本人は、病気や障害を理由に甘ったれて依存しがちです。
ですから、私は妻に、目の前の食事に手を付けない場合、黙って下げ、決して口の中に無理に押し込むような真似はしてくれるなと厳命してあります。

それから、できるだけ痛いのしんどいのは口に出さない、態度にも出さないことです。
これは一朝一夕にはできません。
普段から、死ぬときのためにトレーニングを積んでおく必要があります。
症状が急変したときの対応に不安はありません。
あとは死ぬだけですから、何の不安もありません。
慌てず、静かに見守ってくれればいいのです。
多少死期が早まるだけの話しです。
極限状態で、脳内モルヒネ物質が出るという話しは信じていいと思います。

救急車で病院に運ばれたりすると、死ぬのを引き延ばされて、その間、地獄の責め苦を味わうこととなるでしょう。