何のために生きるの

河原の石ころも、投げて獲物をつかまえる道具にしたり、大きな石は漬物石にすれば、そこに石ころが存在する意味が生まれます。
人糞でさえ、畑にまけば肥料になります。
人生を何かに使うことによって、どんなものにも意味が生じます。
私の人生を「何のために使うのか」と考えていけば、自ずとそこに意味が生まれます。
何も考えずに漠然と生きていくのも生き方の1つですが、自分の人生を何かのために使うと発想していくと、そこに「生きていく意味」が生まれます。

私は家族を養い、家族を守り、温かい家庭をつくろう、という目的を持って働いてきました。
そのためには、少しでもたくさんの給料を持って帰るのが家族のために働くことだと勘違いし、家族にやさしい言葉をかけることを失念して生きてきました。
やがて子供が独立し、自分が歳を重ねてくると、その価値観は根底から覆され何のために働いているのかが分からなくなり、淋しさを感じるようになりました。
それから5~6年は「自分は何のために働くのか」「自分は何のために生きるのか」を探すために暗中模索の日々でした。

まだその答えは見つかりませんが、少なくとも仕事を通して私を頼ってくださる人がいることに気づきました。
その人たちのために役に立ちたいと思った時、仕事が楽しくなりました。
一生働ける仕事があって、ほんとうに良かったと思っています。