12歳の子どもが自死

いのちの大地に立つ 高 史明

ところで、子どもの苦しみや、子どもの自死という出来事をどうして予測できなかったのか。
12歳の子どもがどうして自分で死んでしまったのか。
そこに人間としての私の問題、また子どもの問題があったように思います。

夏目漱石は「こころ」という作品の中で、人間の根本の矛盾を述べてきました。
「私は私自身さへ信用できないのです。つまり自分で自分が信用できないから人も信用できない・・・」と。
まさに孤独地獄そのものです。
ところでその漱石と同じような言葉を、我が家の死んだ子供も書いていたのでした。

「じぶんじしんの のうより 他人ののうの方がわかりやすい みんな しんじられない それは じぶんが しんじられないから」
そして、その「じぶん」という言葉の前に2つの詩がありました。
はじめは「人間」という題でただの1行です。
「人間ってみんな百面相だ」と。
次の詩は「ひとり」でした。
「ひとり ただくずされるのを まつだけ」

思えば、漱石の「こころ」の中には、こんな言葉もありました。
「平生はみんな善人なんです。それがいざという間際に、急に悪人に変わるんだから恐ろしいのです」
漱石は人間のまさに百面相である闇の一部分を見ていたわけです。
我が家の子も、12歳になってその闇に気づいたのでした。