いのちの大地に立つ 高史明
私の子どものように、死んでいきたいと手紙をくれた方の話を書きました。
長いこと、いつ死ぬのかと心配させられましたが、その方が死ぬということを言わなくなったときがありました。
その大転換することになったきっかけの手紙が、今思い返されます。
その方が大学3年生になった。
山登りをして頂上に立ち、今歩いてきた道を振り返った。
はたと気がついたというのです。
「ここにどうして立っているのだろうか。それは2本の足を交互に動かしたから、やっと頂上に着いたんだ。ところが、私はこれまで一気に山の頂上にたどり着こうとしていたのではないだろうか。そう、道に教えられた」というようなことを書いておられました。
絶対というものは、どこか遠くにあるのではありません。
それは、1歩1歩進めていく足がしっかりと踏みしめることのできる、いのちの大地にあるのだと思います。