「死に方」は「生き方 中村仁一
人生の上り調子で血気盛んな青年時代、中年前期までは「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」または「鳴かしてみようホトトギス」ですが、人生の頂点を過ぎて下り坂にかかった中年後期には「鳴くまで待とう」という心境になってくると思うのです。
そして、老年になって病気を抱えるようになると、世の中には鳴きたがらないホトトギス、鳴きたくても鳴けないホトトギスがいることが分かるようになり「鳴かぬなら鳴かぬでもいいホトトギス」に同調できるようになるのではないかと思うです。
こういうことが分かるようになるのが、病気や老いの効用であり人間的成長だと思うのです。
日本尊厳死協会の宣言書には、3つの要望が書かれています。
1 私の傷病が、現代の医学では不治の状態であり、既に死が迫っていると診断された場合には、ただ単に死期を延ばすだけの延命措置はお 断りいたします。
2 ただし、この場合、私の苦痛を和らげるためには、麻薬などの適切な使用により十分な緩和医療を行ってください。
3私が回復不能な持続的植物状態に陥った時は、生命維持装置を取りやめてください。
現在の医療環境下で、このような宣言書を提示したからといって、現場が受け入れる可能性はそれほど多くはないと思います。
なぜなら、医療の現場では延命は依然として至上命題ですし、医療者はあまり価値観が絡む問題には関わり合いを持たないようにしているからです。
本当に尊厳死を望むなら、寿命というものと、医療の限界を認識して「入院しない」「手術しない」といって自宅で亡くなった漫画家の長谷川町子さんに学んで、「救急車を呼ばない、乗らない」「医者の厄介にならない」ということだと思います。