老いの花道 河合隼雄
私の子ども時代でも、普通は50歳くらいまで生きる。
もう少し長生きする人は60歳、特別な人が70歳になる、というようにみんなが思っておりましたし、実際もそうでした。
そうすると一生懸命働いて、だんだんと疲れてきたころに退職する。
そのころに、昔流でいえばお迎えが来て、その人の一生が終わります。
ところが今は、60歳になってもお迎えが来てくれません。
お迎えがこないとなると、そこからまた80歳まで生きなければならないわけです。
これは、たとえば町内の運動会に出て、はじめに「500メートル走ってください!」と言われたので、一生懸命に500メートル走ってテープを切ろうと思ったら、「ちょっと待ってください。あと300メートル走ってください!」と言われたようなものです。
一昔前には、年長者はある程度尊敬されていました。
老賢者という言葉があって、年長者は深い知恵を持っている、みんなで尊敬しましょう、という気持ちがありました。
ところが今は、そういう風潮が急激になくなっていったのではないかと思います。
社会がどんどん変化していくと、年を取った人よりも若い人の方が賢者なんですね。
たとえば、「若い人はコンピュータをのことを知っているけれど、老人は何も知らないじゃないか」という言い方ができる。
そんな価値観だけで物事を見ていくなら、極端なことを言えば、高齢者は邪魔者だという考えさえ出てきます。 少し前は「親孝行したいときには親はなし」とよく言われましたが、最近の若い人は「親孝行したくないのに親がいる」と、悪い冗談を言う。
そういう考え方になってくると、長生きしているのがつらくなるという事態が起こってくるわけです。