長生きなどしたらエライ目に遭う

寿命が尽きる2年前 日下部羊

富士正晴氏は、何度も芥川賞や直木賞の候補になった作家兼詩人です。
長年、大阪の竹林の古民家に住み、ほとんど外出しなかったことから「竹林の隠者」の異名もありました。
富士氏は戦争中、中国大陸で1兵卒として過酷な軍隊生活を送り、戦後、それまで立派なことを言っていた指導的立場の人間が、手のひらを返したように意見を変えたりするのを目の当たりにして、権威や権力、正義ぶったものを信用しない、したたかさを身につけていました。

生き方も自由そのもので、病院などには行かず、もちろん健康診断も受けず、歯は抜けるに任せて入れ歯も作らず、亡くなった時には歯が1本だけになっていました。
そして、エッセイにこう書いています。
「わたしが運悪く長生きしたら、歯が一本もなくなるかもしれないが、そうなればそうなったで歯茎で物をしがみ、唾液を十分出して物にまぜるという方法でいったらどうだろうと思っている」
同じエッセイにはこんな1文もあります。
「芝居の仙人たちが不老長寿の仙丹を飲んだのはけっこうだったが、その長寿に閉口して、1発で自分らを殺せる斧の製作に苦労し続けるという仕掛けが何となく痛快で、決して忘れることができそうにない」

このように富士氏は、医療にせよ健康法にせよ、無理に長生きを求める行為をはっきりと拒絶していました。
それは長生きをしたいと望む気持ちが、未熟な欲求だと分かっていたからでしょう。
実際に長生きなどしたら、エライ目に遭うという現実を冷静に理解していたともいえます。