自然死は穏やか

「死に方」は「生き方」 中村仁一

自然死とは、できるだけ医療の関与を避け、自然の成り行きに任せた死のことです。
実に穏やかです。
少なくとも、40~50年前までは、死にゆく過程に今のような医療の濃厚な関与はありませんでした。
その後、死にかけると病院に行くようになり、身の回りから自然死が消えました。
病院は、最後まで何かしらの医療措置を行うところですから、病院の医者は自然死を知りません。
自然死を知っているのは、私のような老人ホームの医者や往診をしている医者の一部だけです。

自然死の実態は、食べたり飲んだりしなくなって亡くなりますから、いわゆる餓死です。
しかし、普通の餓死とは違うのです。
死んでいく人間は、身体が要求しません。
従って腹も減らず、のども渇かないのです。
ですから、食べないから死ぬのではありません。
死に時が来たから食べないのです。
しかし、ここのところが今の日本人には理解できず、食べないから死ぬと思ってしまいます。

餓死では、βエンドルフィンという脳内モルヒネが分泌され、気持ちのいい状態になります。
脱水では、意識レベルが低下して、ぼんやりします。
この頃のなると呼吸状態も悪くなり、酸素不足となり炭酸ガスが体内にたまります。
炭酸ガスには麻酔作用があります。

つまり、飢餓も脱水も酸欠状態も炭酸ガスの貯留も、すべて穏やかに安らかに死ねるような自然のしくみが、私たちの体内には備わっているのです。