自分の生き方を貫く

ガンになった緩和ケア医が語る 関本剛

最期まで、自分のスタイルを守り通したという意味で思い出深いのは、ある70代の男性だ。
この患者さんは年齢を感じさせない若々しいスタイルで、細身に白いパンツ、サングラスという「ちょい悪おやじ」を地で行く出で立ち。
肺がんを患っており、進行して治療ができなくなった後もアクティブに動き回っていた。

この患者さんが最期まで拘ったのはゴルフと運転である。
どんなに身体がつらくても、モルヒネを飲んで、自分で愛車のポルシェを運転してゴルフ場に直行する。

「肺に水が溜まっているのも、モルヒネを利用しているのも、運転するには危険すぎますよ。ゴルフに行くのは反対しないので、誰かの車に乗せてもらっていくようにしてください」
すると、必ずこう言い返される。
「俺の唯一の楽しみを奪うのか。ほっといてくれ」

そうこうしているうちに、ご本人から急に連絡が入った。
「病院に入院することにしました」
男性はもともと、「何かあれば救急車を呼べばいいんだ」という性格で、ギリギリまで通院での緩和ケアを選択しておられたのも、訪問診療での在宅緩和ケアを選ぶと、ゴルフを含めて自分の好きな時間に出かけたりすることができなくなってしまうと考えたからかもしれない。

入院直後、男性は「もう乗らない」と、あれだけ運転に固執していた愛車を手放すと宣言し、鮮やかな速さでその他の「終活」を進められ、わずか数日後、病院で亡くなった。
彼はしっかりと最悪に備えていたのだ。
その上で、毎日最善を考えて自分のポリシーを貫き通したのだ。