自分の物語を完成させたとき

人は死ぬから幸福になれる 島田裕巳

年をとれば、夜眠る時間は短くなることでしょう。
それでも逆に、年をとると日中うとうとしている時間は長くなります。
テレビを見ていてうとうとし、新聞を読みながらうとうとする。
起きている時間と寝ている時間の区別があいまいになります。
起きている時間が生をはっきりと自覚しているものだとすれば、眠っている時間にはその自覚がなくなります。
うとうとしている時間の中では、生と死が交錯して混じり合い、混然一体となっていきます。

人生が興味深いのは、良い出来事に遭遇したからと言って、それがそのまま良い体験にはならないというところにあります。
逆にとんでもない悪い出来事が、後になるとよい体験になったりすることがあるのです。
挫折もなく、人生は順風満帆だったという人の方が、かえって脆く、何か重大な出来事に遭遇すると、対処の仕方を誤り、それが致命傷になることがあります。

たとえ大きな失敗の体験でも、次にそれを生かす道はいくらでもあります。
その体験自体がなければ、それを生かすこともできません。

私たちは、自分の一生という限られた時間の中で、あがき苦しみ、多くの悩みや問題を抱えながら、必死に生きていくしかありません。
限られた時間であるからこそ、自分のすべてをそこに投げ込んでいくしかないのです。
自分の物語を完成したとき、あの世へと旅立っていきます。
そこには、はっきりとした区切りがあります。
区切りがあることによって、私たちの人生ははっきりとした形あるものとしてそこに残されるのです。