自分の死を考える集い

大往生したけりゃ医療とかかわるな 中村仁一

現在、日本人はまるで死ということを考えなくなってしまっているようです。
本来、生と死はセットのはずなのに、「死んで花実が咲くものか」「死んでもいのちがありますように」と死から切り離し、生のみが謳歌されてきました。
一度きりの人生、最後まできちんと生ききるためには、死の助けがいるのではないでしょうか。
死を視野に入れてこそ、充実した生があるのではないでしょうか。
そう考え、1996年に「自分の死を考える集い」を発足させました。
「集い」のキャッチフレーズは、今を輝いて生きるために「死を視野に」です。

会場においては、何をしゃべるのも自由です。
掟はただ1つ、「どんな意見にもあからさまな批判、反論はしない」ということだけです。
ですから、遠慮なく医師批判、医療批判が飛び出しました。
おかげで、診療室だけでは絶対に知りえない、貴重な患者、家族の胸の内を教えてもらうなど、とても大きな収穫がありました。
しかし、ものがものだけに、1年も続けば上々と思っていたのが、案に相違して例会は180回を超え、16年目に入りました。
参加者も常時40~50名を数え、参加者も全国に及んでいるのは「死」の話しが存分にできる場の提供になっていたせいと思われます。

集いの雰囲気がすこぶる明るいのは、暗くなりがちな死の話題でありながら、重点が「死に方」ではなく、「死ぬまでの生き方」にあるせいだと思われます。