老人が果たした役割

人は死ぬから幸福になれる 島田裕巳

現在では核家族化が進み、家の役割というものは憩いの場であったり、子どもを育てる場であったりと、かなり限定されるようになってきました。
しかし、昔の社会では単に生活の場でなく、生産の拠点であり、家がなければ生活が成り立たないという状況にありました。
現在でも、農家や商家ならそうした面がありますし、自営業の家でも同じ面があります。

家が生産基盤としても役割を果たしていた時には、その家をつくった祖先という存在は、崇拝の対象となるほど重要でした。
農家だと田を開き、それを維持し続けてきた祖先に対し、子孫はその生活に依存しているのですから、感謝の気持ちを自然ともっていきました。

現代において、老いることが否定的に考えられるようになり、若さの価値がことさら強調されるようになった背景には、家の果たす役割が小さなものになったことが影響しています。
家が生産の場でなくなることで、老人が果たした役割が子孫にとっては見えにくいものになり、それで老人に対して尊敬の念を抱きにくくなったのです。
今自分がいるのは、祖先や年配者のおかげだという感覚を持てなくなってきたのです。

老人が尊敬の対象でなくなったことも、老いることを否定的に考えるようになったことと関係しているのです。