「死に方」は「生き方」 中村仁一
老年期は、自分がこれまでの人生で価値あると思ったものを、次の世代に受け渡していく時期です。
その老い方、死に方を後から来る者に見せるという、最期の役割、仕事が残されていると思います。
死に方もいろいろな型がないと困るわけですから、泣きわめいても、のたうち回っても、それはそれでいいと思います。
老い方も決して立派である必要はなく、痴ほうでも寝たきりでも、どのような形でも一向に構わないのです。
今、ほとんどの人が長寿を手にすることができるようになったというのに、肝心の老い方のモデルがありません。
現在、確かに老人が老人のままで尊敬される場面が極めて少なくなり、年を取るのもまんざら悪くないという実感を持ちにくくなっているのは事実でしょう。
以前なら、初物に最初に箸をつけるとか、若い者に諸々の人生体験を語って聞かせるなどの場面もありました。
また、自営業が多く、かなりの高齢になるまで第一線で働くこともできました。
しかし、今は就業構造が変わって、サラリーマンが圧倒的に多くなり、意思と能力があっても一定の年齢がくれば無理にでも退かなければならないのです。
しかも、かつては人生50年と言われていましたから、たとえ定年がっても、あまり老後のことをなど考えずにすんでいたのです。
人生50年時代に育って何の準備もしていない人間が、人生80年時代を生きるというのは、まるで1万メートルを走ってやっとゴールに飛び込んだ人間にもう2000メートル走れというようなものですから、とても大変なのです。