八階の内科病棟のホールで、一人の老人が手すりに掴りながら外を見ている。
「緑を見るって、いいですなあ。わしゃ、緑を見たい、緑を見たいと思っておりました」と大きな声で独り言を言っている。
周りにいた人たちは、一体どんなすごい緑の景色があるのだろうと、窓際に集まってきました。
「おい、どれだ?」「あれじゃないのか?」「いや、あれだよ”!」と、口々に言いますが、誰もが新緑のこの季節にこの程度の緑が見えるって、当たり前じゃないの?と思っています。
「わし、心臓発作で入院しているんじゃ。大部屋でぐるりと茶色のカーテンに囲まれて十日間。カーテンの茶色ばかり見とったら、田舎の裏山のもみじの新緑が浮かんで、緑に会いとうて、会いとうて・・・」
同じ八階の病棟の個室に、34歳の乳がんの末期の女性が入院していました。
骨転移・肝転移・胸水貯留と症状は進み、飲むことも食べることも難しくなり、寝たきりになっています。
ある朝、医師のポケットベルが鳴って駆けつけると、病室には担当の看護婦と婦長が立っています。
漁師である主人が顔をくしゃくしゃにして妻の手を握っていた。
小学校5年と3年の二人の兄弟が立ったまま、母の白い足を見ている。
実母は、娘の髪をなで頬をさすっていた。
患者さんの呼吸は止まっていた。
医師は、立ちすくみ何もできないことを悟る。
誰もが何もできず、ただ死んでいく若いお母さんを見ている。
緑を見ること、死を見ることの大切さと、難しさを教えられます。