病室で飲む最後の酒

いつでも死ねる 帯津良一

もう1人、「いつでも死ねる」という覚悟を持った患者さんをご紹介しましょう。
60代の男性で、前立腺がんが骨に転移して、かなり厳しい状態の方です。
時々入院しては、病院で3週間ほど過ごすのです。
入院してくると、毎朝散歩をし、道場でやっている気功のプログラムに参加します。
漢方薬やサプリメントも飲んでいますし、心理療法にも参加しています。
治療に関しては、私に相談することもありますが、最終決定はあくまで自分です。
検査の結果が良かろうと悪かろうと、全く意に介することはありません。

彼は、いつもまるで厳しい修行を積んだ高僧のように、ゆうゆうと廊下を歩いています。
背筋を伸ばし、1歩1歩を大事にしている様子なのです。
私は、その彼を見かけると、うれしくなってきて、ついつい声をかけてしまうのです。

「食欲も出てきたみたいだし、1杯飲みたくならないですか?」
「そりゃあ、飲みたいですよ」
彼はにやっと笑います。
「では、また後で」と、別れるのですが、翌日には、私はポケットに日本酒の二合瓶をしのばせておきます。
そして彼に会ったら、こっそり渡してあげるのです。

夜ベッドの中で一人飲む酒。
彼は、最後の一杯のつもりでコップを傾けます。
酒は体にいいとか悪いとか、そんなことなど、はるかに超越した恍惚世界がそこには広がっているのです。