「死に方」は「生き方」 中村仁一
仏教では、独生、独死、独去、独来といいますが、人間所詮、生まれる時も1人、死ぬときも1人ということをしっかりと明らめましょう。
だからといって、決してまったく1人で生きているわけではありません。
いろいろな人との交わりの中で、関わりの中で生きているわけです。
このような縁を大事にして、せっかくいただいた命、いつかわからぬその日が来るまで、許される範囲で主体的に生きようではありませんか。
私は、先生と呼ばれるととても違和感を覚えます。
世間ではとにかく医者に対しては、誰かれなく先生と呼んで、表面上奉っておけば無難という風潮が通り相場としてあります。
だからこそ、その程度でご機嫌な人種と値踏みされているようで、はなはだ面白くないのです。
「先生といわれるほどの馬鹿でなし」と反発したくなるのです。
もっとも世間では、医者の常識は世間の非常識、世間の常識は医者の非常識とか、医師は知的IQは高いかもしれないが、社会的IQは低い、などと陰口をたたかれているようではありますが。
私は「さん」づけで呼ばれてこそ、初めて1人前に扱ってもらったような気がするのです。