生きること

釈迦は、
生きること自体に意味はない。
自分の存在には確かな根拠がない。(記憶は毎日、作り直されています)
人の存在には、確固たる根拠などない。(自分の存在とは、記憶と他人からの承認のことです。記憶は曖昧ですし、他人からあなたは平山さんですよと承認されて、そうか私が平山なのかと思っているに過ぎない存在だということです)
と言っています。

釈迦は、何の根拠もない人生を生きていかなければならないのですよ、そのやるせなさや、苦しさを生きていくのですよ、と教えています。
生きていることに意味はないとは、救いのないように聞こえますが、しかしそうと分かれば「意味のある人生」や「有意義な人生」を探し、送らなければと肩ひじ張って頑張らなくてもいいことになります。

般若心経の中に「一切皆苦」という言葉があります。
この世のすべては、みな「苦」であると釈迦は見抜いたのです。
立っていて疲れれば座る。
座っていて、お尻が痛くなれば立つ。
お腹がすけば食事をとる。
お腹が一杯になれば、食べるのをやめる。
すべて苦しいから、別の「苦」にすり替えるということです。

「意味のある人生」や「有意義な人生」などない、と分かると強烈な救いを感じます。
「人生とは苦しいものではないのか」「自分は、ダメな人間ではないのか」と薄々感じていた人間は、妙に納得できるのです。