理性の愛とは

愛が支えるいのち 曽野綾子

この未亡人の子どもに、たまにはお菓子でも買ってあげようと、シスターにどのようなものがいいのか聞いてみたことがあります。
すると、マダガスカルの言葉でムーフという、フランスパンがいいと教えてくれました。
その子たちはお菓子を食べたことがないから、お菓子は欲しくないのです。
でもフランスパンは食べたことがあるから、それはとてもおいしいものだと思っているのです。
そんな子どもたちを見ていると、幸せはお金ではないと感じました。

いのちを支えていくものは何か。
それは、おそらく愛なんだと思います。
聖書の中で愛は2つのギリシャ語で表されています。
1つは「好きであること」です。
でも、本当の愛は「理性の愛」と訳されています。
この理性の愛を、嫁と姑の関係で例えるとよくわかります。
例えば、お姑さんがお嫁さんに恨みがましい気持ちをお持ちなら、それで構いません。
心から好きにならなくても結構です。
ただ、その嫌な嫁が、自分の娘だったらどうするかといつも考えてください。
自分の娘なら、風邪をひいたら薬を持っていくし、食欲がないといえば、好きなものをつくるでしょう。
きれいなハンドバッグを見たら「あの子に似合うんじゃないか」と思って買ってきます。
それをお嫁さんにもしてください。

本当の気持ちはどうあれ理性で、娘にするのと同じように嫁に接する。
そのように理性で行う愛のみがほんとうのものです。
つまり「嘘つきになってください」ということです。
日本では、教育でも何でも裏表があってはいけないと教えますが、キリスト教は違います。
私はこれを聞いてから、すごく心が楽になりました。