治ることを明らめる

「死に方」は「生き方」 中村仁一

「死に方」は「生き方」です。
従って、「死に方上手」は、上手な死に方というわけではありません。
死ぬまでに充実した人生を送るにはどうしたらいいかを考えましょうということです。
日本人は「死」を嫌い、考えないように避けてきました。
しかし「生」の充実のためには、死の助けが必要なのです。
ちょうど、甘みを出すために塩がいるように。
繁殖を終えたら「死を視野に」入れて生きれば、その後の人生は随分と締まったものになるはずです。

今のお年寄りは、あまりにも発達したといわれる近代医学に、過大の期待を抱きすぎています。
どんな状態でも、病院へ行きさえすれば何とかなるとの思いを強く感じます。
しかし、お年寄りの不具合は、老化か老化がらみによるものが大半です。
残念ながら、近代医学に年を取ったものを若返らす力はありません。
だとすれば、いまさら大病院の専門医のところに押しかけてみたところで、すっかり治ることはあり得ません。

「治らないものは治らなくてもよい」と明らめ、「治す」ことを諦めて悪あがきをやめると、生きるのがとても楽になるはずです。
もちろん医療は、人生を安楽に過ごすために利用する1つの手段です。
従って、完全に治したいなどという大それた望みではなく、少しでも楽にという気持ちで利用されるのは構いません。

お年寄りは、健康には振り回されず、医療はあくまで限定利用を心がけ、死に時が来たらまだ早いなどと、ぐずらないで素直に従うというのが、上手な生き方だと思います。

それには、繁殖を終えたら死を視野に入れて、明日死んでもいい生き方をしているかを折に触れて点検し、修正を繰り返しながら、その日まで生きることでしょう。